突然の衝撃: MMA での頭部衝撃のシミュレーション

Stephen Tiernan
(アイルランド ダブリン,Institute of Technology Tallaght,機械工学シニア講師)

総合格闘技をはじめ,さまざまなスポーツ競技での頭部外傷の発生数が増加し続ける中で,脳震とうを正確に診断することは医師にとって難しい問題です.Ansys LS-DYNA を導入することで,医師は脳内ひずみの大きさと位置を把握できるようになり,脳震とう治療の改善にも役立ちます.

Save PDF バックナンバー パスワード発行

磁気共鳴映像(MRI:MagneticResonance Image),コンピュータ断層撮影法(CT:Computed Tomography)スキャン,血液検査を実施しても決定的な結果が得られないことも珍しくないため,臨床医にとって頭部への衝撃による損傷を測定して脳震とうであると診断することには不明瞭な部分があります.脳震とうは,スポーツ競技でよく見られる軽度の外傷性脳損傷です.

アイルランドのダブリンにあるBeaumont Hospitalは,対戦相手の体に接触することが多い,いわゆるコンタクトスポーツで発生する頭部外傷の治療を専門としており,その臨床ケアを率いているのがMichael Power 博士です.Power 博士は数年前,アイルランドでのAnsys のチャネルパートナーであるCADFEM Ireland 社 との連携を通じて,エンジニアリングシミュレーションと臨床専門知識を組み合わせて脳震とうのメカニズムの研究を始めました.脳震とうの原因を定義し,発症数を減らして,その治療を改善するのにシミュレーションソフトウェアの導入が役立つのかを調べることになりました.そして成功した事例により,スポーツ関連の脳震とうの治療に携わる臨床医を導く重要なツールとしてシミュレーションの妥当性が確認されました.

MRI scans of a concussed MMA fighter before and after a match

脳震とうを起こす前後の選手のMRI

CADFEM Ireland 社とInstitute of Technology Tallaght(ITT)の研修者たちは,この難題に挑戦することになりました.このチームは,まず頭部への衝撃を科学的に数値化することにしました.これには,脳内ひずみの測定,Ansys LS-DYNA によるシミュレーション,CADFEM Ireland 社による技術サポート,Amazon 社のクラウドサービスおよびソフトウェアのライセンスが必要でした.

脳震とうの研究には,総合格闘技(MMA:Mixed Martial Arts)の試合前後の選手の血液脳関門の変化を把握するために造影MRI 画像の解析を用いた新しい手法の第一人者であるMatthew Campbell博士が率いるTrinity College Dublin(TCD)の遺伝学部門チームも参加しています.また,試合前後の選手の医療検査は,ダブリンのSt. James Hospital の医師たちが担当します.

研究者たちは,MMA の試合中に頭部加速度データを収集し,それを人間の頭部のデジタルモデルの有限要素法解析(FEA)で使用して,脳内ひずみを特定して測定しました.MMA は,ボクシング,キックボクシング,空手,レスリング,柔道,柔術といったさまざまな格闘スタイルを組み合わせたフルコンタクトのスポーツ競技です.選手は軽量グローブを装着しますが,頭部は保護されません.

MMA の選手が研究対象となった理由は,試合中に頭部への殴打が頻繁に発生することから,多くの頭部加速度データを収集でき,衝撃後の頭部の動きに関する独自のインサイト(知見)を得られるためです.

シミュレーションしたひずみデータ,MRI データ,そして医療検査によって,頭部への激しい衝撃があった後の脳の変化の仕組み,深刻さ,位置について理解できるようになりました.

未来を予見:スポーツの安全性を高める

マウスガード型センサーやAnsys LS-DYNA によるシミュレーションデータの活用は,MMA にとどまりません.こうしたマウスガード型のデバイスは,もう間もなく商用化されます.スポーツ選手たちは自身の加速度データにアクセスできるようになりますが,そのデータをどう活用すればいいのでしょうか.そのデータは,具体的に何を意味するのでしょうか.

現在,スポーツ選手が高加速度の衝撃を受けると,試合から一旦退出して,医師が臨床的評価を行って選手が試合に戻れるかどうかを判断します.将来的には,Ansys LS-DYNA でのシミュレーションベースのワークフローを適用することで,臨床医は選手の加速度レベルを取得し,クラウドでモデルを高速に実行して,それをひずみレベルに変換して,脳の各部にわたるひずみレベルを計算できるようになります.医師はそのデータを受け取り,臨床的な解釈を行い,選手がどのタイミングで試合に戻れるかという非常に正確な評価を下せるようになります.この技術を使用すれば,選手の加速度レベルデータを収集してクラウドで長期にわたって保存し,後で臨床分析に利用できるようになります.たとえば,選手が深刻な衝撃を受けて病院で診察を受けた際,臨床医はその選手の加速度レベルの履歴にアクセスして,最近受けたひずみのレベルを評価して診断に至り,正確な評価を下すことができます.

あるいは,スポーツにおける子供の健康状態を監視して管理するといった活用法も考えられます.それほど高価でないセンサー搭載型マウスガードを子供たちに装着させれば,大きな衝撃を受けた場合にはテキストメッセージによる通知を親に送信するということも可能です.子供が成長するに従って,スポーツ活動中に発生した脳内ひずみに関するデータをクラウドで収集して保存できます.医師は,このデータを利用することで,時間をかけて多数のモデルを実行し,ひずみと損傷が蓄積されているかを突き止めることができます.

さらにクラウドでデータが保存されるに従って,その人物の仮想コピーであるデジタルツインも更新することができます.個人とそのデジタルツインはデジタルで結び付けられているため,各自のマウスガード型センサーのデータを自身のデジタルツインに送り,臨床医が活用できるような正確な情報に基づく予測的なインサイトが提供されるようになります.

LS-DYNA simulation of an uninjured MMA fighter

無傷のMMA 選手の脳内ひずみの矢状断面および横断面

An LS-DYNA simulation of brain strain in a concussed MMA fighter

脳震とうを起こしたMMA 選手の脳内ひずみの矢状断面および横断面

センサーの準備

研究者たちが頭部加速度や衝撃の深刻さを効果的に測定するためには,入力データを取得するための加速度計が必要です.選手の耳に装着するセンサーから,ヘッドバンドに装着するセンサーまで,あらゆるタイプの加速度計が評価対象となりました.こうしたセンサーを装着すると,センサーと頭蓋骨の間で,測定精度に影響する若干の滑りが生じます.

そのため,最終的には6 自由度(DOF:Degrees Of Freedom)のマウスガード型デバイスが選ばれました.これには,衝撃の線形加速度と角速度を記録する3 軸の加速度計とジャイロスコープが搭載されていました.マウスガードはStanford University で開発されたもので,測定精度を向上させるため,頭蓋骨に密着するように選手の歯科印象を採取して作成されました. 

ただし,センサーデータだけでは十分ではありません.自動車メーカーや米国の大学が集結した企業体であるGlobal Human Body Models Consortium(GHBMC)が開発した最先端の人体フルモデルのデジタル版を使用して,ひずみ,圧力,および応力の解明に取り組みました.しかし,一般的には5 ~ 10 ミリ秒程度の短時間の加速度による衝撃が影響するのは頭部と首部のみであるので,全身のモデルは必要ないことになり,頭部と首部に限定したモデルを採用したことで,計算時間を短縮できました.約20 万の要素で構成された修正後のモデルを使用して,頭部の重心に的を絞って加速度を測定しました.

研究者たちは,非常に短時間に発生する頭部への衝撃を測定できる数少ない陽解ソルバーの1 つであるAnsys LS-DYNA をGHBMC で実行することに決めました.これにより,脳内ひずみの位置と大きさを判断して,損傷と脳震とうの原因を突き止められるようになります.

MMA の試合の詳細調査

この研究では,MMA のトップアマチュアおよびプロ選手25 名を解析対象とし,8回の練習試合と8 回の正式試合にわたって400 件以上の頭部衝撃を記録しました.

試合中,選手が装着するマウスガードに搭載されたマイクロチップによって,1,000Hz にて線形データおよび8,000Hz にて角速度がそれぞれ収集され,カットオフ周波数300Hz の4 次Butterworth ローパスフィルターでデータがフィルタリングされます.マウスガードには,線形加速度レベルが10g を超えた場合にのみデータが記録されます.研究者たちは,数値微分を用いて回転加速を計算します.

各試合の終了時に,マウスガードはBluetooth を介してノート型パソコンに接続され,大量の頭部加速度データがダウンロードされます.

次に,研究者たちは加速度データと試合を記録した動画を同期させ,動画のフレーム単位で解析を行い,一般的に脳震とうを引き起こすことが多い,20 ~ 30g を超える最も高い角加速度レベルの衝撃を特定して選択します.

続いて,Ansys LS-DYNA を使用して,選択した衝撃荷重をGHBMC のデジタルモデルの頭部に対して実行しました.このとき,頭部の重心にあるノードと,モデルと同じ座標系を示した座標系にデータを転置します.さらに,角速度データを微分して,角加速度を取得します.このシミュレーションは,Amazon クラウドで36 コアを使用して実行しましたが,たった3.5 時間で完了しました.

競技シーズン開始前に撮影した選手のMRI スキャン画像と試合後のMRI スキャン画像を,シミュレーションデータと比較することで,高ひずみが生じた領域と,その領域内の血液脳関門が衝撃によって損傷を受けて脳震とうが起きたかどうかを相互に関連付けることができました.

LS-DYNA シミュレーションによる大きな勝利

Ansys LS-DYNA は,シミュレーションなしでは不可能であった脳内ひずみの位置と大きさを判断して,衝撃のメカニズムに関する詳細なインサイトを得るのに不可欠であることが実証されました.シミュレーションの結果から,選手は,より多くのひずみが生じる側頭部への衝撃に対してはるかに脆弱であることが判明しました.側頭部が殴打されると頭部がすぐにねじれ,その回転加速によって危険な機械的振動が脳梁に伝わります.この領域には,脳の右半球と左半球をつなげ,通信センターとして機能する神経の束があります.脳梁が損傷すると,脳の右半球と左半球の間でのデータ伝達が不可能になり,脳震とうや神経学的な深刻な問題を引き起こす可能性があります.

これと同様に重要なことは,Ansys LS-DYNA を導入したことで研究者たちは,ひずみ,ひずみ速度,圧力データを確立して,それ以下では外傷につながらない閾値を定義できました.

さらに,Ansys LS-DYNA とMRI 画像によって,特定の位置における血液脳関門への損傷を示す相互関連性が確立された初めての研究となりました.そのような妥当性確認により,シミュレーションモデルに対する信頼性が向上しました.

臨床医や競技の関連団体は,最終的には頭部への深刻な外傷を防止することを目指しています.これは,重症外傷につながるような殴打をよく理解し,シミュレーションを通じてその理解を深めることで達成できます.

この外傷性脳損傷の研究で採用された手法は,他のスポーツ競技にも適用でき,側頭部への衝撃を緩和するような強化ヘルメットなどの強化された機器の開発にもつながるかもしれません.さらに,最も危険度の高い殴打を解析することで,そうした状況が発生する競技の関連団体は,危険な衝撃を防止できるように将来的にルールを改訂できるようになる可能性があります.

ANSYSへお問い合わせください

お問い合わせ先
お問合せ